Chaotic Cycle




渡部の学校には変態がいる。

もはや通うことが日課になりつつある数学準備室に今日も赴き、机にノートを広げると、窓辺に立っていた数学教師が「ほぅ」とため息だかなんだか判別しにくい息を吐いた。夕方だと言うのに、数学準備室はカーテンが半分閉められている。そして数学教師はカーテンに開いた小さい穴から双眼鏡で校庭を見ている。いや、覗いてると言うのか。
双眼鏡のレンズの大きさにぴったり合致するカーテンの穴は偶然できたものではないと、渡部にもたやすく想像することができた。意図的に開けられたものだろう。もちろん、この数学教師によって。
「先生、この問題解けないんですけど」
「ガンバレ」
数学教師は渡部に視線をやることもなく、すべてを校庭に注いでいた。
この数学教師の名は、茂木という。今年赴任してきた若干24歳の教師だ。渡部たち受験生の数学VCを担当している。



渡部が数学準備室に通うようになったのは、今から2か月前の、桜が散って若葉が茂り始めた4月の終わり頃だった。
茂木は教え方が上手く、若いこともあってか生徒たちの間でたちまち人気の教師となった。よく女子生徒に囲まれている、そういった印象を渡部は持っていた。
「渡部、悪いがこれを数学室まで運んでくれないか」
忘れもしない。学習室の帰り。今にもギックリ腰を起こしそうな定年ぎりぎりの担任に頼まれ、渡部は頷くしかなかった。しかし特別棟にほとんど縁のない学生生活を送っていた渡部は、数学室の他に、数学準備室が存在することを知らなかったのだ。
資料を持っていない左手で渡部は数学準備室を一度ノックする。返事はいくら待ってもなかった。誰もいないものだと思って入室した数学準備室。
しかし、そこには窓辺に立って双眼鏡を手にしてる人がいた。
「お前の時計進んでるぞ」
不意に投げられた言葉が自分に投げられたものだと気付くのに、しばし時間がかかった。しかし、渡部の時計はいつも5分早められているし、そもそもそれを今指摘される理由がわからない。人違いをしているのだろうか。
窓辺に立っている人は渡部の方を見ようともしない。全神経が校庭に注がれているようだった。
「あの…、茂木先生?」
名前を呼ぶ。
するとようやく茂木は体を硬直させ、渡部の方を振り向いた。
「……ええええええ!」
茂木の無表情だった顔が、段々と青ざめていくのが遠目からでも分かった。
「え、違う!違うから!新條なんて見てないから!!」
見てて痛々しくなるぐらい、テンプレ通りの慌てようだった。
「新條?」
「はっ」
しまった!と言わんばかりに口を押さえるのもテンプレ通りである。
「新條を、双眼鏡で覗いてたんですか?」
言わなくてもいいことだったと渡部は今でも思うが、あまりに唐突な出来事で、おもわず確認せずにはいられなかった。
すると、茂木は今までの慌て様が嘘のように真顔で。
「誰かに言ったら殺す」
と恐ろしくドスの効いた低い声で脅して来たものだから、渡部は怯んだ。
動かない足と、真っ白な頭。早くここから抜け出さないと、と分かっているのに実行することできないでいる渡部の耳に、ノックの音が一度だけ響いたのが聞こえた。しばらくしてドアの開ける音。
「あれ?」
突然入って来た第三者が声を上げた。そして渡部と茂木を見比べて、もう一度「あれ?」と言った。
「テメエのせいだよこのカスが!!」
いきなり茂木が大声を上げ、その拍子で動かないと思っていた渡部の体が動いた。
「茂木先生、生徒の前でそんな口の聞き方は、」
「カス!テメエのせいで俺の教師人生も終わりだよ!」
そして茂木は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

第三者は、化学教師の春日だった。

「渡部、もしかして見ちゃったの?」
「…何をでしょうか」
「茂木先生がストーカーしてるところを」
「殺すぞカス!!」
ああ、あれはやっぱりストークしてたんだなとようやく働くようになった頭で渡部は思った。それと同時に、授業中と違った今の二人の豹変ぶりに、何かがおかしいとやっと頭が追い付いた。

一瞬のうちに、茂木の印象はほがらかな先生からストーカー兼ヤクザに変わり、春日の場合はもさっとした先生から爽やかな先生に変わった。特に茂木の方は、いつも微笑んでいる印象が強かったため、この口汚く罵る姿を見て、今までの渡部の中の茂木像がガラガラと崩れ落ちた。一方春日も、普段は汚れた白衣を着て髪はぼさぼさだし、授業中もぼそぼそ話すため、生徒の間では不評な教師である。こんな饒舌に話す春日を見て、渡部は面食らった。
何より。
「茂木先生の方が、春日先生より若いですよね?」
そうだ。茂木の方が春日より年下のはずなのに、今この場では立場が逆転しているかのように見える。茂木は春日をカスと罵るし(あだ名だと思えればいいが、春日の発音はごみのカスそのものである)、春日にいたっては茂木に敬語を使っている。
「うん、いろいろとあるんだよ」
「カス、コーヒー!」
はいはい分かりました、と言って春日がガスコンロに向かうのを見て、渡部は首を傾げた。
そして。
「コーヒー飲んでけ」
そうぶすっとして言う茂木をどうして断ることができようか。いや、できない。渡部は蛇に睨まれた蛙のように力無く「はい」と頷いて、うながされるままソファに座った。
「渡部、さっきも言ったが口外無用だからな」
「はい」
こんな風に脅され、誰にこのことを言うことができようか、いや、以下略。
「バレたからには、お前を利用しない手は無い」
「…はい?」
「新條を連れてこい」
「そんなこと言って、目の前にしたら固まるくせに」
「黙れカス!!」
二人のやりとりを聞きながら、渡部は新條のことを思い浮かべていた。

新條。
陸上部のキャプテンで、集会でも必ず檀上に立ち表彰される、この学校のスーパースターだ。渡部と新條は同じクラスだが、比較的目立たない渡部とスターの新條には接点がない。
そういえば新條は数学はUBまでしかとっていなかったなと思い出す。つまり、VC担当の茂木の教え子ではないはずだ。

「茂木先生は新條に一目惚れしたんだよ」
「黙れって言ってんだろこのカス!」
照れ隠しなのかカスカス喚く茂木に、「俺、新條とは親しくもなんともないんですけど」とぼそっと言った。
「そこをなんとかしろよ」
「いや、む」
「ちっ、使えねえな」
散々である。
「じゃあさ渡部、暇なときにでもここに来てくんない?」
放課後なら毎日いるから、と言う茂木に再び首を傾げる。
「ほら、いきなり新條前にするとあがっちゃうかもしんないだろ?だからあ、男子高生代表としてだな、お前を練習相手に、」
「本当に気持ち悪いですね」
「死ねカス」
「コーヒーできましたよ」
ごちそうになった春日の淹れたてコーヒーはおいしかった。



そんなことがあって、以来渡部はほぼ毎日数学準備室に訪れているのだった。学習室にいるより静かで勉強が捗るし、何より新條ウォッチをしていないときならば茂木が勉強を教えてくれる。なかなかいい条件だった。そして渡部は変態な茂木のことも、5時きっちりに必ず訪れてコーヒーを淹れていく春日のことも気に入っていた。

茂木と春日の関係も、少しづつ分かってきた。
どうやら二人は元ヤンだったらしい。その中でも茂木と春日は敵対しているチームの特攻隊長と総長で、詳しいことは知らないがいろいろあったらしい。そして春日は、茂木に今でも頭が上がらないようだ。
しかし、それだけではないように渡部には思えた。春日の茂木を見る目は慈愛に溢れているように見えるからだ。渡部がそれについて何かを聞くことは無いし、触らぬ神に祟りなしというスタンスでいた。



そして今日も渡部はノックを3回して、数学準備室に訪れる。

茂木の相手をする代償として、渡部は茂木から勉強法の極意を伝授した。その勉強法とはひたすら問題を解くという単純なもので、極意ってなんだ?と渡部は疑問を持たずにはいられなかったが。
「文章から意味を読み取って、直感で使う公式を引き出す」
しかし渡されたテキストを何度も解き直し、その直感が澄み渡り始めたころ、渡部は数学のテストで学年首位をとるほどの実力がついていた。
「俺のおかげだな」
あいかわらずの新條ウォッチをしながら感謝しろと言わんばかりの態度をとる茂木だったが、茂木はただ勉強法を教えただけで、実践し、努力したのは渡部である。茂木からはねぎらいの言葉もなかった。
あんまりだと思いつつも、渡部は自分の前だけで本性をさらけ出す茂木のことも春日のことも日に日に好きになっていった。



* * *



「渡部、最近数学すごいらしいじゃん」
いきなりそう話し掛けてきた相手は、茂木の意中の相手、新條だった。
「え、いや、」
渡部はいつも噂の中心にいる人物が目の前に来てうろたえた。何もやましいことはしていないはずなのに、なんだか罪悪感を感じてしまう。茂木と親しくなってから新條が二割増しで輝いて見えるのは、気のせいだろうか。
「もうすぐ模試だろ?」
けど数学の成績がなかなか伸びなくて、だから数学の勉強法ってやつを渡部に教えてもらいたいんだけどさ、…聞いてる?渡部はかろうじて頷くことができた。
「で、いい?」
「あ、え、うん」
「やった!じゃあ毎週月曜日、放課後よろしくな」
教室を飛び出していった新條を呆然と見送り、そういえば月曜日は部活がない日だったなと渡部はぼんやりした思考の中、思い出していた。確か茂木が「俺、月曜は有給とるわ」とやたら真剣な顔をして言い、それに春日が冷ややかな目をして答えていた気がする。



渡部はこのことを茂木に言うべきか思案していた。
しかし、結局は言わないことにした。新條に迷惑がかかると思ったからだ。
今日は突然すぎて頭が働かず言えなかったが、月曜日になったら「俺じゃなくて茂木先生に教わった方がいいよ」と言おうと思っていた。



「なんで?」
そして月曜日放課後。
誰もいなくなった教室で机を並べて勉強している中、上の言葉をそのまま言ったら不機嫌そうに理由を問われた。
「え、だって先生の方が教え方上手じゃん」
プロなんだし、と渡部が言うと新條はため息を吐いた。渡部にはそのため息の理由が分からない。
「なあ渡部、なんで俺がお前に勉強を教えてほしいって言ったか、分かるか?」
「俺が数学で首位とったからだろ?」
それ以外の理由なんて思い付かないとばかりに堂々と渡部が言うと、新條はイラついたように頭をかいた。
「本気でそう言ってんの?」
「……違うのか?」
なかば呆れたふうに言われて、自信がだんだん無くなってくる。
「じゃあ、なんで?」
「俺が渡部を好きだから」
「……………は?」
今、すごい聞き間違いをした気がする。
「え、え?」
「だから!」
「新條は、渡部が好きなんです。だから付き合ってください」とはっきり言われて、渡部は頭が真っ白になった。
「……返事は?」
どれくらいの時間、固まっていただろうか。新條のその声でハッと我に返った渡部だったが、結局なにも言うことができなかった。
「ごめん、驚かせて」
「あ、いや、…うん」
「返事は来週でいいから」
今日は勉強見てくれてありがとう、と唇に何かが触れてきても渡部は動けないし、なにも言えなかった。そんな渡部に新條は苦笑し、また明日と言って教室を出て行った。

渡部にはなにがなんだか分からなかった。



* * *



今回のことも、やはり渡部は茂木に言わなかった。春日には言おうか悩んだが、結局やめた。
「なんか今週の新條はキレが無いな」
あいかわらず双眼鏡で校庭、いや、新條を観察している茂木が唸って、渡部は一瞬固まった。
「悩みでもあんのかな?俺が相談に乗ってやんのに」
「とか言って目の前に来たら卒倒するくせに」
「死ねカス!」
そんな二人のやりとりを見ても、渡部は口を挟めなかった。かわりに「今日のコーヒーもおいしいです」と独り言のように言った。
「だろ?」
耳聡く渡部の発言を拾った茂木が、さも自分が淹れたかのように嬉しそうに笑う。それを見た春日もやわらかく口を綻ばせていて、渡部はまた苦い気持ちになるのだ。

奇妙な四角関係。
春日は茂木が好き。
茂木は新條が好き。
新條は渡部が好き。
しかも相手の気持ちを知っているのは、渡部ひとりだけなのである。渡部はひとりで悩むしかなかった。ああ、俺が春日先生を好きになればきれいな四角形なるな、などと現実逃避もして。



しかし、無情にも現実は待ってくれない。

「考えてくれた?」
月曜日が来てしまった。
一週間前と同じ場所で、渡部は新條と向かい合っていた。
「……ごめん」
そして渡部は用意してきた答えを言った。どう断るかという点で盛大に悩んだ一週間だった。
「…なんで?」
「ごめん」
「俺、陸上で超有名だし、顔も頭もいいし、断られる理由が思い付かないんだけど」
新條はとんだナルシストだった。
「……ごめん」
「……ちっ」
あれ、新條ってこんなキャラだったのか?と思ったときには肩を掴まれ、床に押し倒されていた。
「いたっ」
そして一週間前と同様に唇が塞がれた。いや、一週間前とは違い、噛み付くようなキスで、舌まで入れられた。
「んーっ!」
頭が真っ白になっていた渡部は、シャツの下を這う手に抵抗することも、廊下を猛スピードで駆けてくる足音に気付くこともできなかった。
「わーたーべーーー!!」
それは我を失っていた新條も同じだったらしい。
ガラッとドアがはずれる勢いで開けられた先には、茂木がいた。
「……」
「……」
「……」
三者一様の沈黙。
一番最初に反応したのは年の功からか、茂木だった。
茂木は顔をボッとゆでだこのように赤くさせたと思ったら、その次にはみるみるうちに真っ青になっていた。
「しっしつれいしましたーー!!」
そして来たとき同様、ドアを勢いよく閉め、ついにはドアがはずれたのだった。
慌ただしくダダダと廊下を駆けていく音に続いて、今度は「ギャーーー!!」と叫び声が聞こえた。
次に行動したのは渡部だった。呆然として覆いかぶさっている新條を押しのけ、衣服を整えてから茂木の後を追った。
「茂木先生!」
渡部が叫んだ先には、春日に手首を掴まれ暴れている茂木の姿があった。
「ほら、暴れない暴れない」
「いーやーーー!!」
「茂木先生、さっきのは違いますからね!」
三人が同時に主張し、誰にも耳を傾ける様子が無い。
そこに。
「なんの騒ぎですか」
いつのまにか渡部の後ろに新條が立っていた。その冷静な声に喧騒が止み、廊下にいつもの静寂が訪れた。
渡部は固まり、茂木はさっきの勢いはどこいったのか下を向いて大人しく、新條は何食わぬ顔をし、春日は微笑を浮かべている。
そして気まずい沈黙がしばらく流れた後。
「役者も揃いましたし、コーヒーでも飲みながらお話ししましょうか」
と芝居がかった口調で、楽しそうに春日が言った。



* * *


渡部の隣には新條、テーブルをはさんだ真正面に春日、その横に茂木が座り、妙な空気の中各々がコーヒーを飲んでいる。その中でも茂木は下を向いて、借りてきた猫のように大人しい。
「面倒だし、はっきりさせましょう」
そう言ったのは春日だった。
「待ってください。俺には何がなんだかさっぱりなんですが」
新條が身を乗り出す。そりゃそうだと渡部はため息を吐いた。おそらく今、この場でだいたいのことを把握しているのは渡部だけだ。
「率直に言うと、茂木先生が新條のこと好きらしいんだよね」
「なっ馬鹿テメエ死ねカスーー!!」
バッと顔を上げた茂木は目にも留まらぬ速度で春日の腹に右ストレートを決め、春日はソファから崩れ落ちた。
「て、手加減してくださいよ茂木先生」
「うるせえ!黙れカス!!」
「…………はい?」
数秒遅れて、新條が反応した。茂木が自分を好き、ということも新條にとっては驚愕な事実だっただろうが、今目の前で起きたことも同じぐらい衝撃的だったかもしれない。
「え、茂木先生、俺が好きなんですか?」
「うっ……」
今まで新條と目を合わさないようにしていた茂木だったが、つい新條の方を向いてしまった拍子に直に目が合ってしまい、顔どころか耳まで真っ赤に染まった。
「あ、…いや、その……」
顔を手で覆い、春日の反対を向いて歯切れ悪くごにょごにょと何か呟く。
「うぅ…、やばい、息ができない…」
「本当に変態ですね」
「死ねカス!!」
ダンッと今度は春日の足を踏みつけた。
「だ、だから手加減してくださいと、」
「もう俺帰る!」
「ダメですって」
立ち上がった茂木の手首を春日が掴む。それを見て渡部は思い出した。
「そういえば先程、茂木先生は何を慌ててたんですか?」
「そ、そうだよ!聞いてくれ!」
「それは後にしましょう。次は新條の番だ」
「……俺、未だによく分かってないんですけど」
なぜか順番が決められているらしい。新條は何を言えばいいか分からなくて、困った顔で春日を見る。
「茂木先生の想いに応えられるかどう」
かですよ、と続くはずだったらしい言葉はまたも茂木の奇襲で遮られた。
「い、言わなくていい!わかってるから!」
あいかわらず茂木は新條とは目を合わせようとはせず、伸ばした右手を新條の顔の前にひろげた。
しかし、新條は「ああ、そういうことですか」と口を開いた。なぜ納得できるんだ?と渡部が疑問に思ったときには次の言葉を紡いでいた。
「俺は渡部が好きです」
だから応えられません、と続けた。渡部は急に恥ずかしくなって俯き、茂木も先程の現場を見ていたからかさしてショックは受けていないようだった。しかし春日が一人だけ「へえ」と楽しそうに笑っていた。
「じゃあ渡部はどうなの?」
「俺は…そういうの、よく分からないんで」
渡部はこの一週間、考えに考えたことを口にした。結局、答えが出なかったためこういう結論付けをしたのだが。
「それでは、みんな想いが実らなかったということで」
「待ってください、春日先生は?」
新條が静かにそう問い掛けた。おや?と春日が器用に片眉をつりあげる。確かに他の3人が想いを吐露したのに、一人だけ言わないのは納得いかないと渡部は言葉を発した。
「春日先生は茂木先生が好きなんですよね?」
「はあああああ?!」
素っ頓狂な声を上げたのは茂木である。ソファから勢いよく立ち上がったため、テーブルに乗っていた茂木のコーヒーがこぼれたが、茂木は気にもしない。春日が何やってるんですかと呆れながらテーブルを拭く。
「気持ち悪いこと言うんじゃねえよ!」
「いや、当たってますよ」
テーブルを拭きながら、何事もないかのように春日が言う。それで茂木は「…え?え?」と手を握ったり開いたりさせて、パニック状態になっていた。
「テメエ!そんな素振り全く見せなかったじゃねえか!」
「あなたのが分かりやすいだけでしょう」
ストーカーまでして、と言いかけた春日の言葉は何度目になるだろうか、茂木の回し蹴りで遮られた。
「も、茂木先生、それ以上やったら、」
さすがに春日の命の危機を心配した渡部がそう言うと、茂木も新條の存在を思い出したのか、ハッとしてソファに座り直して俯いた。そのギャップに渡部は怖さよりおもしろさが込み上げて来た。
「……これではっきりしましたね」
ふう、とひとつため息をついて春日がまとめた。
「何ひとつ解決していませんが」
「次のことは、渡部がはっきりさせてから考えよう」
「……俺?」
いきなり自分の名前が出てきて渡部は瞠目したが、横で新條が話が進みませんしねと頷いていた。はすむかいの茂木はそわそわ下を向いていて話にならない。
「ところで渡部が数学の成績上がったのって、ここで勉強してたからなのか?」
「え?よくわかったね」
純粋に感心して渡部がそう言うと、新條は眉間に皺を寄せ当たり前だろと言い放った。
「変な先生たち見ても動揺してないし」
「変って」
確かに変だが、本人たちを目の前にそれを言う新條にすごいと本心から渡部は思った。春日にも気にした様子はない。茂木は俯いているから、どうだかわからなかったが。
「だったら、俺も今度から時間があるときに来ていいですか?」
部活ももうすぐ引退だしと続ける新條に、渡部がそれなら来るの控えようかなと考えてると、ワンテンポ遅れて茂木が反応した。今度は全員のコーヒーが被害にあってしまった。「さすがに茂木先生、いい加減にしてくださいよ」と咎める春日の声も、今の茂木の耳には入らなかった。
「ま、ままま待ってる!!」
それだけを言って、今度はソファに膝を立てて座った。いわゆる体育座りの姿勢だ。
「はい、飲むのもなくなったし、今日はこれでお開きとしましょう」
春日の厭味も今の茂木には届いていないようだった。顔を膝に埋めているため表情を読み取ることはできないが、それでも機嫌がいいということはありありと分かった。春日に「気持ち悪いのでやめてください」と言われても頓着しない。
「渡部、帰ろう」
「あ、うん」
おもわず頷いてしまって、あれ?と思ったときには腕を掴まれていた。そういえば、茂木先生があれだけ慌てていた理由を聞いていない。今聞こうと思ったが、新條にぐいぐい引っ張られてそれは叶わなかった。ただ、あのとき駆け出した先に春日先生がいたのだから、そういうことなのだろうと渡部は結論付けた。
「気をつけて帰りなさい」
「はーい」
と、春日と新條だけが別れの挨拶を交わした。



その帰り。

「なあ、なんで俺なの?」
ここ一週間、渡部がずっと不思議に思っていたことを素直にぶつけると。
「あ?なんか渡部って虐げたくなるっていうか」
「……」
とんでもない理由だった。



後日、渡部は二人にも相手のどこがいいのか、参考までに聞いてみた。
「顔」
「馬鹿なところ?」



渡部の学校、もとい回りは変態ばかりである。



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