自分が末期症状で、しかも手遅れだと悟ったのは結構昔のことだ。 初期症状が出たのは多分小学三年生ぐらい。 俺のクラスではペロという名前のハムスターを飼っていた。 みんながペロをかわいがって約半年、ひまわりの種を与えすぎてぶくぶく太り始めたころ。ペロが惨殺されて死んでいた。 小さな命が奪われている、その光景は何とも云えないものだった。 周りのみんなは泣き出したり呆然としたり、その日は授業どころじゃなかった。 結局誰がやったのかは今でも分からない。 意外と猫がやったのかもしれないし、クラスメイトの中に殺人犯(人ではないが)がいたのかもしれない。 それはどうでもいい。俺が驚愕したことは、クラスで俺だけが冷静だったことだ。 憐憫も抱かなかったし、悲哀も感じなかった。それどころか周りの反応を不信に思った。 「本当に心から悲しんでるの?」自分はもしかしたら、ひどく冷たい人間なのかもしれないと危惧した。
その日から自然に自分と、不特定多数の他人との差異に悩まされることになった。 俺は自分を隠したりつくったりできるほど大人ではないし、何より考えることに億劫になっていた。 自ら他人と距離を置く。これが唯一の逃げ道だった。争わず、楽に生きたい。それだけだ。
こころの喪失なのか、ただ単に冷血な奴なのか、性格が悪いだけなのか、よく分からない。

無感動無干渉無関心。

そして一人。俺は常に一人だった。


 * * *


あいかわらずその体制が崩れないまま、俺は高校二年生になっていた。人が寄って来ても慎重に極力少ない言葉で話すよう努める。 おかげで誰も俺に話し掛けたりしてこない、平穏な日々を送っていた。
そんなある日、ペロが死んでいたときと同じぐらい突然に、クラスに転校生がやって来た。 高校では極めて珍しいことだと思う。 そいつはたった数週間でクラスの中心に立つような人物になったらしい。 そのうえ生徒会もやってるらしいから、クラスに留まらない学校中の人気者なのかもしれない。 だがそのときにはすでに、俺は他人に興味を示す心を持ち合わせていなかった。 そんなことと俺は無関係だと捉えていた。誰がなにをしようとも、変わりない日常がやって来ることは確実だ。誰にも揺るがせられない。

「何読んでるの?」
本から目を上げても顔が無かった。 面倒だと思いながらも更に目を上げると、声を掛けてきたのは転校生の緒川だったことが分かった。(いや、転校生という認識は古いかもしれない。) クラスのやつが図書室に来たことなど今まで無かったから不意をつかれた気分だ。ついてない。
「・・・」
読んでいた本の題名をぼそっと呟くと、 緒川は興味を持ったように「おもしろい?」と訊いて隣に座ってきた。つまらないと云うと、なんで読んでるのと聞かれそうだったので「おもしろい」と答えた。大しておもしろくも無かったけど。一応、会話は成り立っている。
「飯島っていつも本読んでるよね。読書家?」
別に読書が好きなわけではない。 単なる暇つぶし。だが、素直にそう答えてもさらに質問されるだけなので、てきとうに頷いといた。 これは肯定の意を示す動作だ。
「今度、おすすめの本貸してよ」
内心、早くどっか行ってくれと思いながら頷いた。
「今、うぜえ奴だと思った?」
少し、否、かなり驚いた。俺は既に本を読む態勢に入っていたため、目も合わせてないし顔も見られてないはずである。そして焦る。この状況から無難に逃れるためにはどうすればいいか。どの返事を選べば妥当か。
「思ってない」
口から滑り出たのはこんな言葉だった。緒川はあいかわらずにこにこへらへらと笑って「嘘だろ」と云った。顔を見てないから本当ににこにこへらへらしてるかは知らないし、確かに真実をついた返事では無かったけど。
「嘘じゃないよ」
俺は争いごとが嫌いだ。だからこんな意味の無い問答なんてしたくない。
「俺さー、転校したときから飯島のこと気になってて」
急に告白まがいなことを言われて面食らったが、本から顔を上げずに「ふーん」と興味なさげに相槌を打った。実際に興味など無い。俺には興味の対象となるものが無かった。
「俺って人気者じゃん?」
いきなり自惚れて何かと思う。こんな得意顔をしたやつでも人気者にはなれるものかと感心した。そう思いながらも、ここでの無難な返答は肯定だろう。
「そうだね」
「微塵にも思ってないくせによく言うよ」
突っかかってきた。怒っているような口調では無いが、困った。俺がもっとも苦手とすることが始まろうとしている。これ以上の長い会話は俺に向いていない。
「緒川がみんなから好かれてることぐらい知ってる」
これを最後の言葉にするため、本を閉じてイスからたった。そこで本日二回目、もしかしたら転校して来てからも三回しか見たことがなかったかもしれない緒川の顔を見るはめになった。やはり怒ってなんかいなくて、にこにこへらへら笑っている。それでもなかなか整っている顔立ちだと思った。
「でも飯島は俺を慕ってないだろ?傍観的な態度が気に入らない」
「・・・他のみんなが慕っているんだから、それでいいじゃないか」
平穏に済ますためには嘘でも慕ってると云った方がよかったかもしれないが、緒川はそれを否定するだろう。なら肯定も否定もせずに曖昧な返答をするまでだ。
「俺はクラス中を従わせたい」
「・・・」
「いや、クラスだけじゃなくて学校全体だな」
どうでもいいことだった。非常に。切実に。ジャイアン以上にたちが悪い。簡単に云い換えると、緒川はこの学校で王様気分を味わいたいということだろう。そのためには俺がじゃまだとか、大体そんなことが云いたいらしい。お前は戦国時代の大名か。
「勝手にやってくれ」
呆れ果てて、つい本音が出てしまった。後悔先に立たず。俺は自分の失態に舌打ちし、緒川の視線から逃れたその途端。
「いつか飯島を屈服させるから」
・・・うわあ。これって告白?いやがらせ目的の告白か?いつも無表情の俺が顔を顰めたのだろう。にこにこへらへらの緒川がにやりと笑った後「そういうことだから」と俺の肩を軽く叩いて云い、視界からいなくなった。俺は動けなかった。
いつもの緒川は決してこんなではないと確信を持って云う。こんな性格を晒しておいて、周りの信頼を得るなんて有り得ないし不可能だ。すなわちやつは、天下を取るために良い子キャラを成りすましてる、これが妥当な線だと思う。 周りから好かれるような人物は全員こういう奴なのか・・・否、緒川がたぶん異色なのだろう。

安定した安穏な日々はこうして崩された。


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