嘘吐ニヒリスト
(一学年・井沢啓太)

いつもへらへら笑って、やる気が無いながらも人生楽しくて仕方がない!といった感じに見える彼が、本当は誰にも心を許さず、頑なに他人を拒んでいるということを俺は知っている。それが彼の唯一とる、自分を護る術だということにも。
そんな彼とは、図書委員会を通じて知り合うようになった。じゃんけんに負けて、まったく本を読まないくせに入った委員会だった。面倒だし、顔を出すのもいやだったのだが、彼のことを考えるとこの委員会に入って良かったと心底思う。彼は和泉楓といい、俺の一つ上の先輩にあたる。


「和泉先輩おはようございます」
「井沢じゃん」
図書室のカウンターに座っている先輩に話し掛けてみると、機嫌がいいときの、弾んだ声が返ってきた。
「井沢ですよ、一年五組三番の井沢啓太です」
「なに、その今更すぎる自己紹介」
「や、先輩にもっと俺のこと知ってもらおうと思って。趣味はパズルです」
「うわっ意外」
そう云って先輩はけらけら笑った。
「ちなみに今はおはようございますの時間帯じゃないと思うけど」
「そうかもしれませんね。で、なに読んでるんですか?」
「村上春樹」
と、先輩はにこにこしながら本の表紙を見せてきた。
「・・・の、カバーがしてある漫画ですよね?先輩が村上春樹なんて読むわけないし」
図書委員にも関わらず、先輩はまったく本を読まない。(俺も人のこと云えないけど。)まあ漫画も一応、本だしね。先輩も自主的に図書委員になったわけではないだろうが、いつも文句のひとつも云わずに、だらだらと仕事をこなしている。
「タッチ。っていうか分かってんなら訊くんじゃねーよ。嫌味ったらしー」
静かな図書室に先輩の笑い声が響いた。
この図書委員会のシステムは、少々変わっていると思う。クラスから一人選出されて、当番は各学年の同じクラス番号の三人がすることになっている。つまり先輩は二年五組で、今日は当番の日だったというわけだ。ちなみに三年五組の人は一度も来たためしが無い。たぶん本に興味が無くて、サボっているだろう。その分先輩と遠慮なく話せるし、別にいいんだけどね。むしろ大歓迎。
カウンターに廻って、先輩の隣のイスに腰掛ける。真剣にタッチを読んでいる先輩が、なんかかわいいと思う。
「俺にも貸してくれませんか?暇なんで」
「いいよ。一巻から六巻まであるけど、何巻がいい?」
「じゃあ一巻からで」
「あいよ」
手渡された本には、ハリーポッターのピンクのカバーがされていた。
「三巻読んで泣くなよ?」
「あ、カッちゃんが死ぬところですか?」
「そー。俺、授業中大泣きしちゃったし」
「恥ずかしい人ー」
「うっせ」
その言葉を最後に、先輩はタッチの世界に入っていった。
俺は先輩がタッチを読んで泣いたことに驚いた。先輩だって人間だし、感動することはもちろんあるだろう。ただ先輩は普通ではない何かを漂わせている。一言で云えば”不思議”なのだ。先輩と親しくなってだいぶ月日が経つが、いまいち掴めない人である。 そもそも本当に親しいという間柄になってるのだろうか。自信が無い。 先輩はいつも、自分のまわりにバリアをはっている感じで、こっちとしては近付いているという感触がいまいちしないのだ。 もしかしたら先輩はすべてを偽ってるのかもしれない。性格、容姿、容貌、存在、エトセトラ。 実は和泉楓という人物が存在していないとさえ思わせる。それは非常に恐ろしい。
『下校の時刻です。校内に残っている生徒は・・・』
「下校だって。帰ろうぜー」
「あ、はい」
当番の日は先輩と一緒に帰る。電車通学のうえ降りる駅が同じのため、これは二人の中で暗黙の了解だ。これだけのことが俺は嬉しい。先輩はさっさと荷物をまとめるよう、俺を促した。
結局俺は漫画に集中できず、少しもすすまなかった。


駅までの並木道を先輩と並んで歩く。季節は冬。先輩はマフラーをぐるぐる巻いて、寒さを少しでも凌いでいるようだった。本来同じぐらいの身長だが、先輩はいつも猫背で歩くので俺の方が幾分目線が高い。
「さぶー」
「最近寒くなりましたね」
「そーですね」
「あはは、いいとも?」
っていうかテレフォンショッキング?テレフォンショッキングって何がショッキングなのか意味わかんないよなあとかどうでもいいことを考えてると、前から野球部のウインドブレーカーを着た団体さんが走ってきた。こんなに寒いのにご苦労様様。
「・・・あ、野球部。さむそー」
「うちの野球部って強かったですっけ?」
「うんにゃ、全然」
遠ざかる野球部団体の背中を、先輩は立ち止まって振り向き、じーっと見つめていた。それはもう真剣な顔で。いつもやる気がなさそうだから、とても珍しい。知り合いでもいたのだろうか。もしかして昔、野球部だったとか?先輩が野球?まったくもって似合わない。団体競技の時点で似合わない。
「・・・練習しても無駄なのにな」
聞こえるか聞こえないか微妙なラインで、先輩はぽつりと呟いた。先輩は時々こういう云い方をする。諦めてるような、自棄になってるような。
「・・・ねえ、先輩」
「にゃに?」
「俺、先輩のこと好きです」
「へえ、初耳」
知ってたくせに。
先輩を見るとやはりと云うか、冷笑を浮かべていた。それがどんなに俺を傷つける効果があるとも知らずに。いや、違う、確信犯だ、絶対。先輩は他人の気持ちに敏感だから、確実に俺の気持ちに気付いていた。なのに、人をいとも簡単に傷つける。人をいとも容易に突き落とす。
「からだならいつでも貸してあげるよ。俺、貞操観念とか性差別とかまったく無いし」
そう笑う先輩は、
「先輩は、残酷な人ですね」
「親切してやってんのに」
「殺したいぐらいに、憎いです」
「じゃあ殺せよ」
俺ができないことを知っててそう云う。しかもあの笑みを浮かべて。人をばかにして、見下して、何がおもしろい?憎い。狡い。卑怯。
「・・・だめでもともとでしたから」
「あ、そ。まあまあ、それはわざわざご迷惑掛けてすみません」
自分の本心を見せないで、すべてを茶化す。こんな面倒な人、好きにならなきゃ良かったと思う。つーか、普通好きになんかならない。けど理屈なんか当たり前だけど無くて。この人の本当の顔を知りながらも、惹かれるばかな奴って結構稀少だよなあ。
「俺なら、先輩のこと全部受け止められると思うんですけど」
「はあ?」
「そういう、自分を必死になって護ってるところとかも」
「死ね」
先輩はさっきの態度と変わって、感情の無い表情でそう云った。ぞくぞくした。やっと先輩の本性引っ張り出したぞ!みたいな。告白の返事の終局が「死ね」だというのに、俺はなにを考えてんだ。
「いつも偽ってないで、そういう態度をとったらどうです?」
「死ね」
わあ、二回目の死ね。反面、俺の気分は上昇している。
「お前何笑ってんの?マゾ?」
「いえ全然」
「俺はマゾだよ」
「そうなんですか」
「うん」
どういう会話だよ、と思いつつやっぱり笑ってしまった。やっぱりなんだかんだ云って好きなんだなあ。
「先輩はタッちゃんタイプですかね」
「脳ある鷹は爪を隠すってか」
自我を護る先輩。本当の先輩はすぐに爪をたてるけどツンと澄ましたような高貴の猫で、なんか庇護欲が沸くというかそんな感じ。いったい先輩は自分の何を護っているのだろうか。いったいそれにどれだけの価値があるというのか。俺はそれを知りたい。
「先輩」
「ん?」
「無駄じゃないこともあると思います」
そう云うと先輩は艶笑して「綺麗事だな」と、云った。


back * next