嘘吐ニヒリスト
(二学年・和泉楓)

「お前、うざい」
桜が散る四月、初対面でそう云われた。相手は一つ上の三年で、名前は大空健というらしい。大空って云ったらなんだか広く壮大で、なにもかもを包み込む優しいイメージがありそうなものなのだが、そいつはそんなイメージとは無縁そうなやつだった。
「俺が?」
「そうだよ。きもちわりい」
あくまで初対面だ。意味が分からない。一言も言葉を交わしたことのない相手に、なぜそこまで云われなければならない?俺はへこむとか落ち込むとかいうよりもさきに、その理不尽さに怒った。
「はあ?んだよ、それ」
「そのままの意味だよ。あー、最高に最低最悪」
そう云い残して大空とやらは図書室から出て行った。この日は図書委員会の最初の顔合わせだった。同じ当番の日になる三年五組の大空健に、面倒だと思いながらもわざわざ脚を運んで挨拶してやったというのに、この態度はなんなんだと思う。いきなりうざい、気持ち悪い、最低、最悪と罵られた。何度も云うが、初対面の先輩にだ。ありえない。
俺はこの日初めて、直接的に非難の言葉を浴びた。
そして大空とやらは図書委員の仕事をまったくせず、結局図書室にすら一度も来なかった。


「今日も三年の先輩、来ませんねー」
「・・・そーですね」
「またいいともですか」
「うるせえ。いつかテレフォンショッキングに呼ばれるほどの大物になってやる」
「意味分かりませんよ、それ」と云いながら、隣に座っている一つ年下の井沢が笑っていた。お前も充分意味分かんないやつだけどな。俺に死ねとかばかとか云われてるのに好きですとか云い続けて。やっぱりマゾなんじゃないの?・・・それは、俺も同じか。
午後から降り始めた雨が起因して、図書室の中もなんだかどんよりしている。上の電灯がカチカチ点滅しているから、そろそろ取り替えなきゃいけない時期なのかもしれない。とにかく辺りは薄暗い。いつもやる気なんて無いが、こんな日はますます気が滅入る。
「三年の先輩、顔すら見たことないんですけど」
「受験なんだし、しょうがないんじゃねえの?」
とか云ってみるけど、先日、野球部の練習に混じってジョギングしてるのを見た。まあ、図書室に顔を見せない理由なんて分かりきってるけどね。
・・・。
「休憩行ってきまーす」
「え、先輩、休憩入れるほど何もしてないじゃないですか」
「図書委員の仕事なんか一人でもできるんだから、別にいいだろ」
「そーですけど・・・」
「犬だって番ぐらいできんだよ。何?井沢には出来ないわけ?」
「できます」
うわ、即答。やっぱり井沢は犬系だと思う。ご主人様の命令に喜んで従う犬。絶対マゾだ。
井沢に告白らしきものをされて以来、俺はなんか性格が変わってしまったと思う。もちろん、井沢の前だけに限るけど。それは井沢にも云えることだ。


雨は小降りだと判断し、旧校舎の屋上に向かった。教室があるのが新校舎で、特別教室(図書室や美術室とか)があるのが旧校舎だ。新校舎に比べて、旧校舎は薄寒い気がする。電気は点けてないし、窓は少ないし。溜息をつくと、白い息が出た。こんな寒い日に屋上なんか行くの俺ぐらいだろうな、と思いながら屋上に繋がるドアを開けると、雨が雪に変わっていた。そりゃあ寒いわけだよ。
「うわ、さぶっ」
図書室から直行したのだから、もちろんマフラーも手袋もしてないしコートも着ていない。屋上に来た理由は別に無かった。ただの息抜き気分で。
「・・・なんだお前」
上から声が降ってきた。この屋上には更に上があるが、そこには水タンクがあるだけで本来、人がいるべき場所では無い。
「大空、健」
おもわずそこにいた人物の名前を声にしてしまった。しかもフルネーム。その声の主は露骨にいやな顔をした。
「なんでてめーがこんなとこに来んだよ。ここは俺の場所なんだけど」
「今日、図書委員の当番ですよ」
一応、親切心で教えてあげた。知らないだけかも知れないし。
「誰が好き好んでお前と同じ部屋で息吸うんだ、ばかじゃん?」
俺は、大空健と話すのは二度目である。一度目と変わらず、俺はまた罵られている。つーか、当番だって知ってんじゃねえか。
「早く出てけ」
「俺のこと、そんなに嫌いなんですか」
「大嫌いだね」
大空健と話したことは二回しかないはずだから、そこまで嫌われる理由が分からない。もしかして小学校や中学校が同じだったりしたのだろうか。それとも友達の兄貴とか、兄貴の友達とかか?いや、俺に兄貴なんていないよ、そういえば。
「理由が思いつかないんですが」
「人を嫌うのに理由なんていんのか?楽天的な奴だな」
そのとき、ピンと来た。
これは、同属嫌悪というやつなのではないだろうか。

「大空健は、俺と同類なんですか」

俺がそう云い終わる頃には、大空健はあからさまに暴怒していた。図星だった?軽蔑するような視線は、次第に怒りを含ませた視線になった。
「うるせえ!なんで俺がてめえなんかと同類になるんだ」
「そんな気がしたからです」
「死ね」
気になる人に死ねと云われるのは、こんな気持ちか。うん。悪くない。
「俺は死にません」
「死ねよ」
「死にません」
「うぜえ、ばか、死ね」
幼稚すぎる。非常に稚拙すぎる口論だ。相手もそのことに気付いたのか、舌打ちして手に持っていた何かを落としてきた。そして俺の頭上にぽとりと落下。
「あつっ」
頭上のものを手に掴んで見ると、それは煙草だった。
「あぶねえよ!」
「アフロになんなかっただけありがたいと思え」
「学校で家事騒動があったらどうすんだよ」
「それでお前が死んでくれたら、おつりがくるほどの儲けだけど?」
そこまで俺が嫌いなのか。でも、それだけ俺に執着してるということだろう。やっぱり俺はマゾだった。図書委員会の顔合わせしたときの会話を、表情を、そのときの空気をすべて覚えてるぐらいだからな。
「受験がんばってください」
「てめーなんかに応援されたら受かるものが落ちそうだな」
「大空健、ファイト!」
「うぜーよ!」
俺は勝ち誇ったように、笑ってやった。雪がゆっくり降ってくる。しんしんと、という音がまさに似合うそうな雪。大空健の背後は白一面だった。着色されているのは、大空健一人だけだ。今日も空は大空だなあ、とか意味不明なことを考えた。そういえば、大空健と話してるときは寒さとか雪が降ってることなんかすっかり忘れていた。
帰り、薄寒かったはずの旧校舎はぽかぽかしていた。無機質の電灯ですら、蝋燭のような温かみが感じられる。自分でも気持ち悪いほどの心境の変化だと分かっている。俺は乙女か。少女漫画か。浅倉南か。あれ?浅倉南はそんな乙女じゃなかったかも知れない。


「先輩、どうしたんですか」
「え?」
「なんか凄く嬉しそうな顔してますけど」
「えー、そう?」
「にやにやして気持ち悪いですよ」
「てへっ」
「キャラ違ってます」
「赤羽伸子キャラ?」
「なんか妬けますね」
「どんどん妬け!」


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