「ほんっと、ミクはかわいいよね」
と、だらしない顔をしながら(少なくとも俺にはそう見える)おかしなことを云うやつに、俺は心底呆れた顔をつくって見せた。
「そんなこと云うのお前だけなんだけど」
「や、ほんとかわいいって。ほら、よく云うじゃん、目に入れても痛くないって。そんなかんじ」
「へえ。じゃあほんとに入れてやるよ」
人差し指と中指をヒイラギの目の前で垂直に突き立てた。 いわゆる目潰しの体勢だ。



   No reason No pursue 01



今日こそは一限目から授業を受けようと思っていた。珍しくも、そう思っていたのだ。 なのに起きたらすでに太陽が高く昇っていて、一日のやる気が一瞬のうちにすべて剥がれ落ちていった。 二度寝の誘惑に駆られたが、さすがにサボりすぎて単位が危ない。 俺はのそのそとベッドから降りて、てきとうに着替えてお隣さんの家に向かった。
「おはようございます」
あいさつをしつつ、高度なセキュリティが導入されている玄関を抜けてリビングに入ると、
「おはよう、ミクくん」
とキッチンから爽やかな声が聞こえた。挨拶してくれたのはこの家の主、スカイさんだ。 俺はいつものように椅子に腰かけ、テーブルに置かれたバスケットに入っているサンドウィッチに手を伸ばす。 丁寧に布までひかれているバスケットもそうだが、サンドウィッチもお店に並んでいてもおかしくない品物だ。 朝ごはんっていうより、ブレイクファースト?っていうかランチ?
「今日も豪勢な朝ごはんだねえ」
「あ、そのサンドウィッチ、ヒイラギがつくったんだよ」
「・・・へえ」
朝からこんなのつくってよく学校に間に合うなと感心した。さすがヒイラギ。感服です。



のんびりと優雅な食事をとったあと学校に足を運ぶと、ちょうど昼休みの時間だった。 昼を過ぎても学校に行く俺自身を内心褒めつつ教室に入ると、おとなしそうな女子が俺を見るなり慌てたように近寄ってきた。
「おはよう」
「お、おはよう。あの、さっきタケモトさんが来て、ミクくんがきたら21階の、902H室に来い、って」
気の弱そうなのは顔だけじゃなくて喋り方もかあ、なんて失礼なことを思ったが、伝言ありがとうとお礼を云った。
「なに?ミクってタケモトさんと知り合い?」
話を聞いていたらしいやつが椅子に踏ん反り返って訊いてきた。
「や?っていうか、タケモトってだれ?」
「え、ミク知らないの?ちょう有名人じゃん」
「だからだれ」
「なんか、ちょう派手な人」
っていうかお前が誰?とはもちろん聞かずに、へえと相槌を打っといた。 ゆるやかな感じのする、あたたかな五月。毎日遅刻してくる俺はクラスメイトの顔と名前が一致しないのだ。



この学校で20階以上の部屋とは個人の有する部屋のことを示す。つまり、タケモトさんは個室を持ってしまうほどの偉い人というわけだ。 うわあ、こわいこわい。
「7039M、入ります」
ドアの前でそう告げると中にいる人が確認したのだろう、ドアが左右に開いた。7039Mというのはこの学校で俺を表す番号だ。
「遅いんだけど」
開口一番でそう云われて、いきなり呼び出す方も悪いよなあとも思ったが一応謝りの言葉を返そうとした。が、返すに返せなかった。 部屋の中央に置かれているソファに堂々と腰掛けるその人の容姿に、唖然としたからだ。 タケモトさんは目がちかちかする人だった。 赤い髪に、蛍光色ばかりつかった服。部屋の壁紙はギンガムチェック。これは予想以上に、違う意味でこわい。
「や、なんかもう、ごめんなさい・・・」
「なんで呼び出しされたか分かってる?」
うまく廻らない頭を使って考えるが、まったく理由なんて思い浮かばない。初対面だし。
「・・・さっぱりですね」
「俺、風紀委員長なんだよね」
「はあ、」
なんかいろいろツッコミどころがあったような気がして、気の抜けた返事しかできなかった。 この人が風紀委員長で、どうやって学校の風紀を守るんだ?とか。反面教師でしかなくない?とか。
「お前、遅刻多すぎ」
「はあ、」
「だから毎日朝と放課後、裏門ちかくにある便所掃除よろしく」
聞いたとたん、俺はめまいがした。ありえない。便所掃除って。 っていうかこの学校には掃除する機械がうじゃうじゃいるから、そもそも生徒は掃除しないはずなのに。 や、罰だからしょうがないかもしれないけど・・・とかぐるぐる考えて、結局出てきた言葉は、
「古典的ですね・・・」
だった。だって古典的すぎる!そんな罰、漫画でしか読んだことない。
「まあ、俺が楽しみたいだけだし」
と云って、タケモトさんはけらけら笑った。
「横暴だ・・・」
「期限は二週間だけだし楽だろ。でも一回サボるごとに、一週間延ばすから」
「風紀委員長とか云ってるけど、自分だって風紀乱してるじゃないですか」
せめての抵抗をしてみるが、
「え?これはおしゃれだからいいの」
らしい。よくないよ。



しかたがなく、俺は放課後になって屈辱の便所掃除をしている。てかわざわざ裏門のトイレ使うやつなんているわけがない。 せめて裏門じゃなくて、校舎内の便所掃除にしろよと心の中で悪態ついてみたところで。
「ミク!」
え、と思ったときには背中にどしっと重さを感じた。
「うわ、学校でミクに会えるなんて運命だね」
「わざわざここのトイレに用足しにくるやつがいるか?おまえ、俺がここにいるの知ってただろ」
そう云うと、俺の背中に寄りかかりながらヒイラギはえへへーと笑った。ぜんぜんかわいくないから。
「俺、風紀委員なんだ。で、ミクの見張り当番」
「あっそう・・・」
肘でヒイラギを押しのけようとするが、なかなか放れない。
「じゃまなんだけどー・・・」
抗議の言葉を云うと、なぜか耳元に息を吹きかけられた。セクハラだ、セクハラ。 かかとでヒイラギの足をおもいっきり踏んでやると、やっと放れてくれた。
「ミクってばかわいいなあ」
「ヒイラギってば本当に変態だねえ」
と笑顔で厭味を云ってやるが、ヒイラギは「照れなくていいのにー」とか云っている。こいつばかだ。

ヒイラギは人間ではない。スカイさんがつくった人間の形をしたロボットだ。 詳しいことはよくわからないが、今のこの世界ではたいして珍しいことではない。 現に政府の調べではヒイラギのようなロボットは20%を越すらしく、人間はロボットを意識することなどまったくない。それぐらい精密なのだ。
ロボットがつくられるようになった背景にはもちろん理由がある。急激な人口増加。 そして政府の出した案とはセックスの禁止だった。 もし女の体に子どもを孕んでしまった場合は結構な罰が課せられるらしい。 政府は生殖行動以外における、快楽なセックスを求める者に向けてそういう機械を開発した。 生身の体をつかうより、断然気持ちよくなれる機械だ。 もうこの世界には、生身の体をとおしてセックスする愚かな人間はほとんどいない。ほとんど。



「重たいんだよ!」
ベランダから不法侵入してきて否応なく覆いかぶさってきたやつの腹に、俺は蹴りをあげた。
「DVだ。ミク、ドメスティックバイオレンスだ」
「俺はおまえと家族になった覚えはないし、被害を受けてるのはどっちかと云えば俺だ」
そう云うと、ヒイラギはきょとんとして俺を見る。
「え?俺がいつミクに暴力振るった?」
「強姦罪・・・」
「ええ、それは違うよ。強姦罪なんて昔の刑罰だし・・・」
今は政府が開発した機械のおかげで、強姦罪を犯すような愚かなやつなどいない世の中なのだ。
「それに、どっちかと云えば和姦?」
「・・・合意した覚えはまったくないんだけど」
「またまたー。あんなに気持ちよさそうなのに、ねえ」
にやにやと擬音語が聞こえそうな笑顔をしているヒイラギにむかついた俺は、もう一発腹に蹴りをお見舞いしてやった。
俺は万年発情期のヒイラギに付き合わされているかわいそうな健全男子なのである。 どこでこんな原始的で非合理的なセックスを覚えてきたのかと不思議でしょうがなかったのだが、最近スカイさんが原因していることがわかった。 そのあたりではスカイさんをとても恨んでいる。だいたいそんな間違った教育を息子にするな。
「ねーねーミクー」
「うるさい。俺は明日早いんだ」
返事もてきとうにしながら、俺はふとんに入って寝る体勢に入った。もうこんなやつ相手にしてられない。
「あ、トイレ掃除?俺も手伝おうか?」
「結構です・・・」
学校の有名人のヒイラギと一緒にいたら、どんな目で見られるかたまったもんじゃない。
「・・・おい、どういうつもりだ」
「え、なにが?」
「なにがじゃねえよ。なんで俺のふとんの中に入ってくるんだよ!」
我が物顔で一緒にふとんに入ってくるとは、いやはや図々しいにもほどがあるだろうが。油断も隙もない。
「えーなにもしないからいいじゃん」
そういう問題じゃないだろ。
「それにさっき家族になった覚えはないって云ったけど、もう家族同然?てか夫婦?なんだし」
ヒイラギの話は右から左に流して目をつぶった。こいつの頭は相当いかれている・・・とも、言い切れない自分がかなしい。 なにせ俺とヒイラギは結婚することが決まってるのだ。まあ、話の流れでそうなってしまったものはしょうがない。 庭付き一戸建て。ペットでなめっく星人を飼うのが俺たちの夢だ。ああ、かなしいかなしい。


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