俺は今、なぜか右手に泡立て器を持ってぐるぐる回している。 (なんでこんなことしてるんだっけ・・・) 答えなど明白だが、問わずにはいられない。 はあとため息をついて、そっと泡立て器を垂直に持ち上げるとメレンゲの角がたった。 オーブンの余熱も温まってきたころだろうし、そろそろ焼く段階に入ってもいいだろう。 「ねー、ミクまだー」 「そんなこと云うんだったら、買ってくればいいでしょう」 机に寝そべりながら文句ばかり云うタケモトさんに呆れながらそう云うと、 「だって手作りのが食べたかったんだもーん」と間の抜けた返事が返ってきた。 いい歳した男がもん、って。かわいくないから。それにケーキ屋だって手作りだと思うんだけど。 「ミクは黙って俺の云うこと聞いてればいいんだよ」 「わあ、横暴ですねー」 棒読みで返してやった。 本来ならばジャイアニズム最低ーとか云っているところだが、 俺も大きなことを云える立場ではないことぐらい、わきまえているのだ。 No reason No pursue 02 「お前、ほんとに不真面目だな」 先日、再び902H室に呼ばれた俺は、開口一番にそう云われた。 前呼ばれたときも思ったけど、この人の一言目は唐突すぎる。 「便所掃除にちゃんと来たのって、初日だけじゃねえか」 「そうでしたっけ?」 けろりと俺がそう云いのけてやると、ソファに横になっていたタケモトさんが眉をしかめた。 「別に素行が悪いとかいうわけじゃないんだけどな。そこらの不良よりもよっぽどタチ悪いぞ」 前に見たときとは違う、ゴールドにピンクの混ざった頭をがしがし掻きながら、うーんと唸っている姿は、なんだか競馬に煮詰まったおじさんの姿を彷彿させた。 「見張り番の風紀委員も困ってる」 そうか、俺のためにわざわざ風紀委員の人は朝早起きしたり、貴重な放課後の時間をさいてくれてたのか。 なのに肝心の俺はいくら待っててもこなかったと。 「申し訳ないことしましたね」 「心にも思ってないことを」 実際、まったく良心も痛んでないわけですが。 「サボるごとに1週間追加って云ったけど、単純計算したら3ヶ月延長だぞ?お前の場合、このままだと卒業まで延長になりそうだな」 「確かに。そして1回も便所掃除せずに卒業すると」 「・・・遅刻癖が直らないことも直す気がないことも分かった。でも罰は受けてもらわないと風紀委員の顔が立たない」 別に顔を立てる必要なんてない気もするけど。 だって俺が陰でこそこそ便所掃除したとしても、それを知っているのは風紀委員の奴らだけだし。 「そこで俺は考えた」 もったいぶってないで早く云えよ。 とはもちろん口にせずに、真剣な表情をつくって続きを促した。 「お前、今日から俺に従え。な?」 それはまったく予想していなかった命令だった。 「・・・なんでいきなりそうなるんですか。いやです」 この人の命令をきいていたりしたら、何をやらされるか分かったものではない。 そんなにタケモトさんのことを知っているわけではないが、直感がそう云っている。 「風紀委員長の俺が、一般生のお前を退学に追いやることなんて簡単なんだけど?」 「最低」 「それぐらいの権力は持ってるってことだよ。分かる?」 「・・・そんな個人的な罰、誰も納得しないと思いますが」 あ、俺、今すごい正当なこと云ったかも。形勢逆転という言葉を思い浮かべてそう云うと、 ソファに寝転がっているタケモトさんも不敵な笑みを浮かべて、云った。 「前にも云ったろ?俺が楽しめればいいんだよ」 タケモトさんは俺の作ったケーキを頬張って、ときどき「うめー」やら「幸せー」やら云っている。 そんな大したものをつくったわけではないが、誉められると悪い気はしない。 「なんでミクってこんな料理うまいの?」 「頻繁にしてるからじゃないでしょうかね」 「一人暮らし?」 「そうです」 洗い場でボールや型、計量スプーンなどをがちゃがちゃ洗いながら返事をした。 一人暮らしと云っても、よくお隣さんにお世話になっているから、自分で作らない日の方が多いんだけど。 「ミクはこれ、食べなくていいの?」 後ろを振り向くと、ケーキを刺したフォークを掲げているタケモトさんがそう訊ねてきた。 「俺はいいですよ。遠慮しないで全部食べちゃってください」 俺のつくったケーキはでっかいホールケーキだ。これを一人で食べるのは辛いだろう。 いつも横暴なことばかり云うタケモトさんを困らせるために、 親切心からなどではなく無慈悲でそう云ったわけだが。 「・・・あんた、糖尿病で死ぬよ」 結局、タケモトさんは辛い様子など全くないまま、ケーキを一人でたいらげてしまった。 俺はまた、無駄な対抗心を燃やしてしまったわけですか。ああ、あわれ。 「なに?死んでほしいわけ?」 「や、そんな大それたことを云いたいわけじゃありませんが」 それにその考えは極端すぎるだろ、と思いながら着ていたエプロンを脱ごうとすると、タケモトさんが「待って」と云った。 ・・・エプロンを脱ぐのを待て、ってことか? 「エプロンフェチ?」 「そんなフェチ聞いたこと無いけど、もったいないなーと思って」 「なにが」 「なんかエプロン着たミクってそそられるっていうか?」 「変態」 ヒイラギ以外にもこういう人いたんだ・・・。目が腐ってるか脳が沸いてるとしか思えないな。 軽蔑した目をしてタケモトさんを見ると、 「そんな目で見るなよ。照れるだろー」とまったく照れた様子もなく、にやにや笑っていた。 タケモトさんがその日、遊び疲れて満足したのは夜の8時を過ぎてからだった。 ケーキを食べた後も、だるまさんが転んだをしたり(2人だからまったく面白くもない)、 校内鬼ごっこをしたり(廊下を走って何度も教師に怒られた。風紀委員長のくせに)、 髪を染めるのを手伝わされたり(今度は真っ黒に染めた)、 よくわからない書類の校正をやらされたりと、俺は今日一日、と云っても放課後だけだが、いろんなことに付き合わされた。 「ミクのおかげで、はかどったよ」 「鬼ごっこなんてしなければ、もっとはかどったと思いますがね」 「愚問だね」 「正論でしょう」 夜の8時にもなれば、校舎の中は人気がなく閑散としている。 俺たちの声も響いて聞こえ、なんだかなーと思う。なんで俺、この人に付き合ってるんだろうとか冷静に考えてしまって、自分に嫌気が差してくる。 テストも近いし、勉強したいんだけどな・・・。 「・・・あ!」 いきなり隣を歩いていたタケモトさんが声を上げ、なんだ?と思い横を向くと、「しっ」と人差し指を顔の前に立てた。 ・・・いや、声上げたのあんただろうが、と思いながら小声で「なんですか?」と訊ねると、 窓越しに外を見ていたタケモトさんが俺を手招きして、「見て見て」と地上を指差した。 ここは4階だ。顔までは見えないが、2人分の後姿があるのは確認できた。 「あの2人がどうしました?」 「あれ、ヒイラギと転校生じゃない?」 おもわずどきりとした。 別にあいつはギリギリまで授業をとっているから、こんな遅くまで学校にいても驚くこともないのだが、 どうしても人からその名前を聞くと、なぜか一瞬動揺してしまう。 「・・・転校生?」 「知らない?結構噂になってる。転校してからずっとヒイラギにべったりだって」 「へえ」 文系の俺と理系のヒイラギは同じ授業をとっていないし、ヒイラギがどんな学校生活を送っているか、俺はまったく知らない。 「その転校生が超美人でさ、メロディっていうんだけど」 「メロディ?!」 聞こえてきた名前に、おもわず過剰反応してしまった。メロディ、だって? 「え、そこそんな反応するとこ?もしかして知ってる人だったとか?」 「あー・・・、昔、ご近所に同じ名前の子がいました」 下手に嘘を吐くのも逆効果な気がして、俺は正直にそう答えた。 メロディちゃん。 小学生のころ、つまらないことでヒイラギを怒らせて爆弾事件(未遂に終わったが)を起こした張本人。 ・・・いや、張本人は俺か?よくわからないが、帰ってきたのか、この町に。 あの爆弾事件のことさえ除けば、メロディちゃんは本当にいい子だった。 ふわふわした栗色の髪もきれいだったし、オルガンだって上手だったし、何より優しかったし、かわいかったし、 そんな子がすくすくと成長していたら、よっぽどな美人になってるんだろうなあ・・・と俺は思いをはせて、おもわず顔がにやけてしまった。 転校、ヒイラギにべったり、超美人というキーワードから、あのメロディちゃんと考えて十中八九間違いないだろう。 そうそういる名前でもないし。 それにしても、あのヒイラギを怒らせて、よくまた帰ってこれたな・・・。 「超美人だったら、ヒイラギにお似合いでしょうね」 純粋にそう思って、感心するかのように俺は云った。 美男美女カップル。完璧じゃないか。 「あまり快く思ってない人もいっぱいいるらしいけど、お似合いだから何も云えないんだよなー」 「ヒイラギが羨ましいですね」 気付けば口が勝手にそう云っていた。 「そうか?俺はあーいうタイプ、好みじゃないけど」 「どういうのが好みなんです?」 「そうだな」 うーんと演技がかかったようにタケモトさんは腕を組んで考えて、いや、そんな真剣に考えてもらわなくてもよかったんだけどなと思っていると、 「お前?」 と、まったく嬉しくない答えが返ってきた。 「へー、ありがとうございます」 「どういたしまして」 さて今日の夕飯はどうしようか、なんてことを考えていた俺は、 タケモトさんが2人の影をどんな目をして見ていたか、まったく気が付かないのだった。 |