テストまであと5日しかなかったその日、俺は帰宅した後すぐ机に向かった。 確かそれが夜の9時ごろだったはずで、当たり前だが外は暗かったはずだ。 が、今、何気なく外を見ると、心なしか明るいように感じられる。
白昼夢?
そんな考えが頭をよぎるが、いやいや、シャッと小気味の良い音を立てたカーテンの向こう側は、やっぱり太陽が昇り始めていた。 時計は4:58を指している。俺は夕飯も食べずに、今まで勉強していたことになる。
ぬるくなったコーヒーをちびちび飲んで、だんだんクリアになっていく思考の中、俺は考え始めた。 それは二度寝するか、否か。 今日は1限から授業が入っている日だから、今から寝ると起きるのは昼ごろになっていつものように遅刻してしまう。 でも今から学校に行けば遅刻どころか、余裕で朝のホームルームにだって間に合うだろう。
さて、どうしようか。
うーんと背伸びして、俺は学校に向かうことにした。

そういえば。
昨夜はヒイラギが家に来なかった。



No reason No pursue 03



「おはよう」
朝のホームルームの2時間前に登校してきた俺は、名前もろくに覚えていないクラスメイトに挨拶をしてみた。
「珍しいね、ミクが1限からいるの」
そして今、挨拶を交わしたばかりのメガネをかけた奴が嬉しそうにそう云ってきた。・・・なんで嬉しそうなんだ?
「俺、やるときはやる子だから」
「ミクが来てくれたおかげで、今日はクラス全員が揃いそうだよ」
嫌味か?俺がいるせいでクラス全員が揃わないことへの嫌味か? と思いつつ、「へえそうなんだー」とあくまで平然と答えた。
「それで、明日も朝早く来てくれると助かるんだけど・・・」
ちらちらと俺の顔色を窺いながら、メガネの奴が云いづらそうに云った。
「なんで?」
「明日のホームルームで文化祭の出し物決めるから、やっぱりそういうのはクラス全員で決めたいんだ」
何が「やっぱり」なのかとか、俺はなんでもいいけどとか云いたかったが、とりあえず頷いておいてその話は終わった。 朝早く来るかどうかは、明日の気分次第だけど。ゴメンナサイ。
ところでメガネくんは、その後のホームルームで発覚するのだが、どうやら学級委員長だったらしい。 出来の悪い生徒がクラスにいると大変だなあと、頭の隅っこで思ってみたりした。



6限までぎっしり入った授業を真面目に受け終え、俺は今日も今日とて902H室に向かった。
「いらっしゃーい」
部屋に踏み込んで、一歩。「あれ?」と思った。ここ、902H室?
「すみません。部屋、間違えたみたいです」
「いやいや!ここはあなたのタケモトさんの部屋だから」
ドアを閉めようとしたところ、タケモトさんが慌てたように駆け寄ってきた。 この際、あなたの、というところは無視することにして。
「どうしたんです?」
タケモトさんの髪を黒くしたのは俺だが、部屋までこんな変えた覚えは無い。 昨日までは原色で揃えられていた家具や壁紙が、すべてモノトーン調に変えられていた。 そしてタケモトさんの服装も、昨日までとは打って変わってモノトーン調になっている。
「見違えた?」
タケモトさんはいたずらに成功したこどもみたいに笑った。
「見違えるっていうか、初対面の人かと思いました。イメージチェンジですか?」
「今日から大人しく生きようかと思って」
「ああ、それは賢明ですね」
俺がそう云うと、タケモトさんは口を尖らして「賢明ってなんだよ」とか、ぶつぶつ文句を云っている。 まあ、服だけで人間かわるとは思えないけどね。
「あ、今日は」
「そのことですが今日からテスト最終日までちょっと休ませてくれませんか」
タケモトさんの言葉を遮って、俺はノンブレスで云うべきことを伝えた。 タケモトさんに喋らす余裕を与えてはいけない。
「では、そういうことで」
「ちょっと待て」
ドアを閉めようとしたが、タケモトさんがドアを抑えてて閉められなかった。ちっ。何気に力強いな、この人。
「ミクって勉強するの?」
「当たり前です。真面目なんで」
「勉強なんて今までさぼってきた不真面目なやつがやることだと思うけど?」
「・・・不真面目でもなんでもいいんで、ほんと勉強しないとやばいんですよ」
とにかくドアを閉めようと俺は必死になるが、ドアはまったく動く気配がない。力強いっていうか、馬鹿力だ。 細身のくせに。
「授業はサボるくせに、テスト勉強はするんだ?」
「小心者なので、テスト勉強しないと落ち着かないんです」
「ふうん」
あ、なんかやな感じ。
「じゃあ、勉強してもいいから付き合えよ」
「・・・邪魔するんでしょう?」
「んー、まあ今日は尾行しようと思ってたから」
尾行なんてしてたら勉強できないじゃん、とか思うより前にひとつの疑問が浮かんだ。
「・・・誰の?」
訊くと、タケモトさんはにやりと笑った。ああ、この笑いはあれですね。まともなこと考えてる人の顔じゃないですね。 そして出てきた名前は聞きたくなかった、あの名前。
「ヒイラギと、転校生の」
「・・・」
まあ、予想はできていたかもしれない。 この前ヒイラギとメロディちゃんの一緒に帰るところを見かけた以来、2人の並んだ姿を何度か見かけるようになった。 「やっぱりメロディちゃんだったんだなー」なんて思ったり、俺のところに挨拶しにこなかったのが思いのほかショックで(待ってたのに)ちょっとへこんでみたり。 俺が2人を見かけたときはいつも、メロディちゃんはもちろんのこと、ヒイラギもあの貴族がするような上品な笑顔を浮かべていて、 ヒイラギの中でも、昔の事件は昔のこととして片付けられていたということが分かった。 それにしてもやっぱり2人はお似合いで。2人の世界というか、誰も入り込めないというか、そんな雰囲気をかもし出していた。
「この後、2人は7限の天文学に出るらしい。ミクはそのとき、テスト勉強してればいいだろ?」
「・・・授業中まで尾行するんですか」
というか、そこまで調べあげたんですか。
「天文学って教室真っ暗にして授業するんだと。破廉恥だと思わないか?」
いや、破廉恥って。あなたのその思考の方がよっぽど破廉恥だと思いますが。 というかそれ以前に、破廉恥という言葉を使うこと自体、なんというか・・・。
「・・・思いませんし、その授業に俺たちは出られるんですか?」
「ぬかりなく。出席もとらないらしいから、後ろに座ってれば大丈夫だろ」
「ああ、だからその服・・・」
目立たないように、イメージチェンジしてたのか。
「で、ミクはどうする?」
俺はうーんと考えて答えを躊躇する、フリをした。答えはもちろん、不本意ながら決まっている。 それが好奇心なのか、違うものなのかは分かりたくもないし、考えたくも無いが。
「行きます」
そう云うと、タケモトさんはちょっと驚いたような顔を一瞬見せた後、にやりと笑った。



そんなわけで、俺は今、一番後ろの席に座って天文学の講義を受けている。 7限目からは専門的な分野の講義になるから、受講する生徒も自然と少なくなる。 おかげで教室の中も閑散としていて、俺がいることがヒイラギにばれるという確率も高くなるわけだ。 暗闇だし、ヒイラギは一番前の席に座っているし、そう簡単にばれないとは思うけど。 もちろん、ヒイラギの隣にはメロディちゃんが座っている。 そして俺の横には、机に顔を寝させながら「くそつまんねー」とぶつぶつ云っているタケモトさんがいる。
「つまんないの分かっていて、ここまで尾行したんですよね?」
「こんな授業、受ける人の気が知れない・・・」
「それには同感ですが」
「ヒイラギと転校生にも動きないし、ひまー」
俺は机に広げた生物学の教科書とノート(ヒイラギに借りて、一週間返していないやつ)に目を向けながらタケモトさんと会話をしていた。もちろん小声で。
一方、真面目なヒイラギとメロディちゃんは、教師の云うことにきちんと耳を傾けてノートをとっている。 俺にはマネできない芸当だな。天文学だからというわけではないだろうが、俺には教卓に立って話している教師の講義内容など宇宙語にしか聞こえない。 聞こうともしてないから、生物学の内職をしているんだけど。



「で、どうでしたか?尾行は」
「可もなく不可もなく。でも講義内容は不可だ」
60分間の子守唄のようだった天文学の講義を終え、俺とタケモトさんは廊下に立っていた。 可もなく不可もなくとタケモトさんは云ったが、 前に座る2人にはなんの動きもなかったし、とても尾行する必要があったとは思えない。 収穫があったとするなら、チャイムが鳴った後、2人仲良く教室を出て行く姿を見れたことぐらいだ。
「真面目な2人を、授業中監視する方がどうかと思い、」
「ミク!」
・・・。
なんか今、遠くで自分を呼ぶ声が聞こえたような気がするが、空耳だろうな、たぶん。うん。 仲の良い奴、この学校にそんなにいないし。 俺も年をとったもんだなあ・・・と思いながら、声のする反対方向へ足を向けると、また自分を呼ぶ声が聞こえた。
ずいぶんと、聞きなれた声。
足を止め、ゆっくりと振り返ると、こっちに向かって走ってくる人影が見えた。誰かなんて分かってるけど、認めたくない。 ああ、でも顔が確認できるほど近づいてきた。
「・・・ヒイラギ」
なんでお前はそんなに笑顔なんだ。さわやかすぎだろう。さわやかボーイコンテストがあったら確実に入賞してるよ、お前。
なんてちょっと現実逃避をしてみても、まったく意味はない。 ひくひくっと自分のこめかみが動くのを感じた。 本来なら今にでも逆方向に向かって走り出したい気分だが、それはそれで隣にいるタケモトさんにあやしまれるだろうし、とりあえず何もしないで突っ立っておくことにした。
「・・・ミクって、ヒイラギと知り合いだったんだ」
「まあ、ぼちぼち・・・」
もっともな質問をしてきたタケモトさんに、ぼちぼちってなんだよ、と思いながらも上の空でそう答えた。 俺の意識は、もちろん、近づいてくる人影にある。
ああ、だんだん近づいてきたなあ、とか、変な行動してくれないといいなあ、なんてどこか客観的に思っていると、
「久しぶり!」
と云って、予想通りというか、案の定というか、抱きついてきましたよ、この人。
おもわず俺は固まった。学校で俺を見かけても無視しろと云ったことはないが、せめて世間体ってものを気にしてくれ。 ますます現実逃避したくなる俺に、更にヒイラギは追い討ちをかけるかのように、俺の肩に顔をうめて「ミクの匂いがする・・・」とぼそっと云ってきた。
「・・・!」
脊髄反射とでも云うべきか、俺はヒイラギの右腹に一発お見舞いしてやった。もちろん手加減なしで。
「痛い・・・」
「だろうな」
それでもヒイラギは嬉しそうに笑っている。痛いのに笑ってるなんて、本当にこいつは変態だ。
「・・・お前らって、知り合いっていうか、友だちだったわけ?」
・・・そういえば、隣に厄介な人がいたんだっけか。 周りが見えていなかったことを自覚し、自分の浅はかな行動、つまりあのとき逃げなかったことを後悔し始めて、泣きたくなった。
ややこしいことになったなあ・・・。
まだ冷静になりきれない頭で、言い訳の言葉を何個か浮かべてみる。 しかし、それよりも俺はタケモトさんの口から出てきた「友だち」という言葉になぜか妙な引っかかりを覚えた。 ヒイラギと俺の関係を「友だち」と形容するのはどこか違うように思う。 じゃあなんなんだろう・・・とタケモトさんの問いかけに答えるのも忘れて考え込んでいると、
「あ、タケモトさんいたんですか」
とヒイラギが今気付きましたとばかりにあっけらかんと云うのが聞こえた。さすがのタケモトさんも閉口する。
「お前・・・」
いくらタケモトさんがモノトーン調の服を着て影が薄いからって、それはないだろう、それは。
「俺とミクは友だちというか、」
「幼馴染です」
なぜか嬉しそうな顔をして答えようとするヒイラギに言いようのない不安を感じた俺は、変なことを云われる前にぴしゃりとそう云った。 抱きつかれた上、許婚やらフィアンセなんて云われたらさすがにフォローのしようがない。
「・・・そんなことミク、一言も云わなかったじゃねーか」
「云う必要がないと思ったので」
「・・・ほんと、どっか冷めてるよなあ」
「すみません」
云ったら云ったで、いじられるのが分かっていたから黙っていたんだよ、俺は。 というかそれ以前に、タケモトさんじゃなくても、ヒイラギと幼馴染なんて誰にも云ったことがない。
「ミクくん?」
「え?」
不意に聞こえてきた女の子の声。
今の今まで忘れてたが、そういえばついさっきまではヒイラギの隣には女の子がいたわけで・・・。
「メロディちゃん?」
「あ、やっぱりミクくんだ。久しぶり」
にこっと笑って、ヒイラギの陰から顔を出すメロディちゃんがそこにいた。近くで見てもやっぱりかわいい。 そして、どこかほっとしている自分に気付く。どうやらヒイラギが現れてから、俺は神経を張りつめていたらしい。 ああ、メロディちゃんは癒し系だなあ・・・。
「久しぶりだね。俺のこと、覚えててくれてたんだ」
「もちろん」
・・・あれ?なんか、今、ちょっと棘があったような気が。
「ヒイラギくん、急がないと8限目遅刻するよ?」
「あ、ほんとだ。じゃあミク、またね」
「ああ」
手を振って去っていくヒイラギにてきとうに返事して、嵐が去ったなあなんて思っていると、 不意に振り向いたメロディちゃんがキッと俺のことを睨んできた。・・・ような気がする。
見間違いだと、思いたい。
そして。
「そうか、ミクとヒイラギって幼馴染だったんだ・・・」
と、にやにやして云うタケモトさんに、俺は拭いようのない不安を感じていた。


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