青春パラドックス 5



「え?ストーカー?」
「いや、そんな仰々しいものじゃないから」

河合がもし本気で俺のストーカーだったらもういっしょに風呂なんて行けないなーとか失礼なこと思ってみる。こいつがストーカーなんてありえないから言えることなんだけどね。

「じゃあなんで俺のあとつけてきた?」
「・・・お前、夜中になるといっつもいなくなるだろ」

・・・びっくりたまげるとはこういうことを言うのだろう。魂消るなんて漢字で書くとこわいけど、まさにぴったり。

「知ってたの?ぜったいバレてないと思ってた」
「確かに全然足音しなかったけど、気配でなんとなく目が覚める」
「・・・お前、忍者?」
「・・・今どき、忍者なんて実在するのか?」

俺の友人にひとりいますよ、忍者ハットリくんが。あだ名でだけど。

「っつーか、何だよこのお面!こえーよ!」
「え?かわいくない?」
「これつけて追いかけられてみろよ!マジびびるから」

カエルのお面をつけた奴に全速力で追いかけられるねえ・・・・・・あ、想像するとこわいかも。このカエル、にやけてるし、学ランだし、走るとき上半身まっすぐで動かないし。

「で、なんでお前は毎日部屋抜け出すんだ?」
「・・・お年頃の男子高校生なので夜の徘徊に憧れてるんです」
「嘘言え」
「嘘じゃねーよ。いつもならバイクでゴッドファーザーふかしながらパラリラやってんだよ」
「・・・・・・」

あ、なんかその顔、俺のこと哀れんでない?俺、かわいそうな子じゃないよー。

「405部屋に来た時点でもう十分怪しいけど、結局何者なんだお前」
「前にも言っただろー?フッツーのコーコーセーだって」
「・・・こんなお面までつけてまでバレたくないことやってんじゃないのか?」
「お面は趣味だ!」
「いや、ありえねーだろ!お面が趣味って」
「ありえます!現に俺、いっぱいお面持ってるもん」
「だからってなんで今つけんだよ」
「中々お披露目する機会とか場所がないから、こうやってー・・・、誰もいない夜中にお面つけて徘徊するのが俺の日課なんですー」
「あ、お前、今結構いいこと言った、とか思っただろ」
「お、おもってな、・・・?!」

突然、背筋に例えようのない悪寒が走った。

空間とか時間とか重力とか、そんなの一切存在しない部屋に放り出されたような感覚。

頭がまわる。



これはよくない。とてもよくない。



「・・・お、」

なにか言葉を発そうとした河合の口を咄嗟に防ぐ。

「河合、エレベーターに乗って部屋に戻れ」
「は?なんで、」
「早く!」

河合はまだ何か言いたそうだったが、俺の只ならぬ気配を察知してか、グッと言葉を呑んでエレベーターに乗り込んだ。



・・・震えが止まらない。

立ってるのがやっとだった。



この気配は、よくない。



* * *



今までに感じたことのないいやな気配は、じりじりと近づいて。

焦燥感が鋭くなって。

俺の足下が、闇で覆われる。



「・・・・・・っ」

ひゅっと息を呑んだ。でもそれはすぐ止まる。
ひんやりして、冷たい。
誰かの指が、俺の喉元を押さえてる。
・・・誰の指?
頭の隅でそう感じたのもつかの間、軽く触れるだけだった指に力が込められた。

息が、できない。

「君は誰?」

その音の序列が何を意味するかも、理解できない。
ただ呆然と、焦点の合わない目で、相手の漆黒の瞳を見つめるだけだった。

指先が冷えていくのを感じる。

自分の体じゃないみたいだ。



「抵抗しなくていいの?」



耳元でくすくす笑う振動が伝わってきた。

相手を纏うこの気配が、ひどく薄気味悪い。

これは、よくない。



「答えてよ。君は、この学校の人?」



返事をする前に、今にも震え出しそうな右腕をおもいっきり振り上げて、相手の頸椎を的確に殴った。






「いきなり頸椎殴ってくるなんて、人間のやることじゃないね」
「いえ、あんなどす黒い気配を出してる方がどうかと思いますが」

あー、五官が澄み切ってるってこんな気持ちいいもんだったんだなーとつくづく思う。
生きてるってすばらしい。

俺の急所を狙った攻撃は、手首をつかまれていとも簡単に阻まれたわけだが、その瞬間、相手の纏う殺気立っていた気配っつーかオーラっつーか、そういうものが一瞬のうちに消えた。
おかげで今は普通に立ってられるし、喋れるんですがね。

さっきまでは相手の顔を認知できないほど、恥ずかしい話、俺は恐怖に足下を掬われていたのだけども、こうやって冷静になった思考で俺に強襲をかけた相手を見ると、これまたなんというか、美人というか、艶美というか。

「なんでいきなり、首絞めてきたんですか」
「君があまりに不審者だからだよ。制服は着てるけど、本当にこの学校の生徒?」
「そーです」
「じゃあ、なんで俺のこと知らないの?」

・・・こいつ、自意識過剰か?

「クラスと名前を言って」
「1年A組、鈴木太郎です」
「この学校、A組なんてないんだけどなあ」

ふふふとか男の癖に上品に笑いやがって。でもその背後に、またなんかどす黒いオーラが。こわ。
こんな胡散臭い人に、素性知られるのいやだなあと思いながらも俺は渋々口を開いた。

「2年7組芝規里」
「・・・しば、きり?」

俺の名前を反芻すると、何か思い出したかのように男はいきなり肩を震わせて笑い始めた。
・・・気が触れたか?
言っとくが、別に俺の名前おもしろくともなんともないぞ?

「なんだ、君が。じゃあ今回のことは見逃してあげる」
「・・・え?俺のこと知って?」
「姫原のボディーガードでしょう?」
「な!」

なんで知ってんだこいつ?!俺が知らなかっただけで、周りにも姫原のボディーガードだってばれてたのか?こんな初対面の奴に勘付かれるぐらいだし。

どうやら俺は思っていたことをそのまま行動に移していたようで(つまり挙動不審だったみたいで)、男はそれを見てまたくすくす笑い始めた。本気で唸っていた俺は、それに気付かなかったんだけど。

「俺は生徒会に入ってるから、理事長直々に教えてもらっていたんだよ」
「生徒会?」

ああ、あんまり印象の良くない生徒会ね。
こいつもそうなのか・・・。
ますます、生徒会の株が下がった。



* * *



「俺は、副会長の高島恭平。よろしくね」
「・・・たぶん、よろしくされることは今後一切ないと思いますが」

俺が横目でそう呟くと、その高島恭平とやらは笑顔を崩さないまま、俺の首に指を絡めてきた。

「ちょ、はなせ!」
「たぶん、それは無理」
「お前が指を離せばいいだけだろーが!」
「そうじゃなくて。君にはこれからもよろしくされてもらうよ」

ね?と首を傾げてきれいに笑う高島恭平。
・・・いやいやいや、その笑顔、ちょうこわいんですけど!
普段だったら微笑みの貴公子とか言っちゃったかもしれないが、この状況だとその微笑みもどす黒すぎて逆に引きます。

「だいたい、君にボディーガードなんて無理だよ」
「っ!」
「こわかったんでしょ?俺が」

・・・言い返せない。
言い返せるわけが、ない。

「まあ、それも含めて、仲良くしようって言ってるんだけどなあ」
「・・・どういうことだ」
「俺だったら、姫原を殺すのも容易いよ」

本能が言ってる。
こいつは危ないって。

「ね?仲良くした方がお得じゃない?君が俺のそばにいるかぎり、俺も姫原狙わないから」
「・・・殺す気なのか?」
「どうだろう。気分次第?というか、君次第?」
「・・・意味わかんないし、殺させないし、」

俺は一度息を吸い込んで、

「もう、お前の気配にも飲まれない」

高島恭平の漆黒の瞳を睨みつけて、そう言い切った。

免疫もついたし、今、あの気味の悪い気配を出されてもなんとかなるだろう。たぶん。・・・たぶん。

「・・・ねえ、このかわいらしいお面はずしていい?」

いやだ、と言う前にはずされた。
・・・人の話、聞く気ないよなこいつ。

「っつーか!さっきからなんなんですか、この体勢!」
「え?」

え?じゃねーよ!
おかしいだろ、この体勢!

俺は未だに、強襲されたときと同じ体勢をしていて、つまり角の隅っこになぜか追い詰められいる。で、高島恭平が俺に覆いかぶさってるような体勢。

っつーか、顔近い。体、密着させすぎ。

「いい加減、どいてくださるとありがたいのですが」
「うーん、どうしようかなあ」

てめえいい加減にしろや!と叫ぼうとしたが、それは声にならなかった。
なぜかと言えば、高島恭平の指がいきなり俺の頬に伸びて、おもわず体が竦んだのと。

それと。

「・・・?!」

こいつ、なにしてんだ?!

「やめ、・・・っ!」

うわ、変態だ、変態!

俺はなんとか抗おうと右手を伸ばしたが、逆に掴まれた。やばい、と思ったときには両手首を片手で壁にくくりつけられていて、さらに窮地に追い詰められた状態になっていた。

てか、余計恥ずかしい体勢になってんじゃねーか!

「ふ、・・・っん、」

舌、入れてくるし。
変な声、出るし。

・・・あー、手首を動かそうともびくともしないし、この人には適わないだろうなあと潔く諦めた俺は、おとなしく目を閉じて高島恭平のキスを受け入れることにした。
今思えば、俺もこの学校に毒され始めていたのかもしれない。

「んぅ・・・は、・・・っ」

人気のない夜の廊下に、ピチャピチャと音が響く。

いつもだったら赤面もんだが、思考にもやがかかった状態の俺には恥ずかしいなんていう感情は存在しない。 むしろ、どうせ誰もいないんだしどーでもいいやと投げやりになっていた。

「・・・、あ、」

どれぐらいキスしてたかなんて、わからない。

ようやく唇が離されて、さらにはなんか糸がひっぱているように見えたが、見えてないふりをする。 精神的に疲れてるし声を出す気にもならない。

「かわいいなあ」
「・・・っつーか、あんたもやっぱりホモだったんですか」

自分の痴態を思い出さないように、俺は話を変えた。

「ん?俺は世界全人類が好きなだけだよ」
「へ、へりくつだ・・・」

それに、そんな胡散臭い笑顔で言われてもなあ・・・。

「君おもしろいね」
「いや俺つまんない人間ですほんとに」
「これあげる」

話聞けよ!と言おうとしたが、何かものをくれるらしい。タダなものに弱い俺は、黙っておくことにした。ええ、どうせ俺はげんきんな奴ですよ。
そしてふいに高島恭平の手が俺の制服の襟元に伸びた。おもわず体がぴくっと反応してしまうが、その反応を高島恭平がからかわなかったのが意外だった。

「はずさないでね」
「なんですか、これ」
「お守り」

高島恭平は嬉しそうににこにこ笑っている。
俺の襟元に何をしたかといえば、何か変なバッチみたいなのがつけられていた。

「え、こんなださいのいらな、」
「はずしたら、どうなるか分かってるよね?」
「・・・・・・」

ええ、身をもって分かってますとも。
俺は何も言わずに、顔を引きつらせた。

「ああ、もうこんな時間か。そろそろ部屋に戻らないと」
「はあ、」
「ふふ、じゃあね」

そう言って、高島恭平は最後に俺の手の甲にチュッて唇を乗せた。
こいつ、とことんきもいな。どこの王子様だ。

「あ、ちょっと待ってください」
「ん?なんだい、キーリィ」

とりあえずキーリィと呼ばれたことは無視して。

「あの、先輩の実家は何をされてるんです?」

これだけは聞かないと、俺も安心して寝られない。
あの普通の人間じゃ絶対出せないであろう気配。

そんな奴がこの学校でのうのうと生活してんだもんな。いつ誰の首がはねるかわかんねーよ。

「・・・秘密」

と高島恭平は語尾にハートがつくように言って(はい、きもい!)、軽やかに廊下を戻って行った。

・・・とりあえず、殺し屋の王子様っていう肩書きでどうだろうか。


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