青春パラドックス 16



俺と河合はスケッチブックを片手に、特別塔の一階にある美術室に向かっていた。もっとも河合の方は筆箱と絵の具セットも持ってたけど。(もちろん俺はそれを拝借させていただく予定です)

そこでようやく初めて河合が、「そういや芝はどこに泊まってんだっけ?」と聞いてきた。
聞くのおせーよこいつ。唯一無二のルームメイトが心配じゃないのか。

「裏切り者の河合君には教えません」
「うぜー」

うざいのはどっちだと言い返そうとしたけど、すんでのところで飲み込んだ。俺にも河合に迷惑をかけたっていう負い目がある。

「あ、ちゃんと補習受けてんの?」
「ほしゅう?・・・あー、受けてない」
「いや、そこは受けろよ」
「えー」

補習なんて俺にとっちゃそんなのもあったなーっていう程度でしかありません。例えるんだったら、色鉛筆セットに入ってる黒。あれ使わないよなあ。
口を尖らす俺に河合君はひとつため息をついた。

「・・・お前って本当、どうやってこの学校入ったんだよ」
「裏口入学?」
「お前が言うとシャレに聞こえねーし」
「シャーリーじゃなくてリアリーだよ」
「・・・お前ならありえるけどな」

あの成績だしと言う河合にどの成績だと問い詰めたくなったけど、悲しくなってきたからまたやめた。っつーかただ単にこの学校のテストが難しいだけだと思うんだけど。

「前、普通の高校生とか言ってなかったけ?」
「普通じゃん」
「どこが。っつーか裏口入学ってリアルすぎてこわい」
「しつこいなー。お前がほんとだと思うならそれでいいよ」
「いや、そんな潔く認めちゃっていいのか?」
「だって河合そんなの吹聴するやつじゃないし」

吹聴する相手も少ないんだろうし。
という意味も込めて言ったのに、河合は「え?」とか言って、なぜか恥ずかしそうにしてた。意味わかんねー。

「ま、そ、それはいいとして、芝歩くのおせーよ」
「えー?俺、のんびり派」
「足の早さが唯一の自慢って言ってたくせに」
「お前、俺が自慢することがひとつしかないその程度の男だと思ってんの?」
「はいはい」

間に合わなくなるから早くしろよーと慌ただしく階段を下りてく河合の後ろ姿を見て、こどもは元気だなーなんて主婦じみたことを思いながら俺はのんびり階段を下りていった。
そんな俺の背後は隙だらけだったらしい。

不意に、どんっと強く背中を押された。

「うわっ」

・・・と見せかけて、気配を感じてとっさに横によけた。ナイス俺の反射神経!

手すりを掴んで危機一髪を免れた俺とは反対に、突き落とそうとしたやつは、その反動で階段から落ちそうになっていた。
助ける義理なんてないこと分かってるのに、なぜか俺の右手は勝手にそいつの腕をつかんでいて、そいつをおもいっきり踊り場の上に放り投げていた。
つまり力点になる俺は言わずとも逆に不安定な体勢のまま階段に落ちていくわけで。

「あ」
「芝?!」

一瞬の浮遊感を感じている間、遠くで河合の俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。



* * *



今、俺は16年の人生の中でまったくの無縁だった保健室にお邪魔している。 ベッドに腰掛けて包帯ぐるぐるの右足をぶらぶらさせてたら、それを見咎めた河合にぺちんと叩かれてしまった。

「いたっ!病人に向かってなにを!」
「怪我人の間違いだろ」
「いや、突き落とされた事のショックで、」
「自業自得」
「四字熟語使って自分のことかっこいーとか思ってんじゃねーよ」
「思ってねーし」

まあ、痛い痛いと喚いてた俺にここまで付き添ってくれたのにはお礼を言うけどな。

一応、語弊がないように言っておこう。
階段から落ちた瞬間、一応ボディーガードなんてやっている俺が怪我をするがなくて、げんにちゃんと受け身をとって、すぐに追い掛ける体勢に入って足を踏み出した。
・・・んだけどなあ。

「まさか階段踏み外すとはな・・・」
「うっせえバカイ」

脱兎のごとく逃げた犯人を追い掛けようと階段を4段とばしたら、見事に踏み外してぐるっと暗転。三度目の正直ならず二度目の正直で、俺は足をくじいてしまったのだった。

「あー、ついてねえ」
「芝君、これから一週間は安静にね」

自分の失態にうなだれていると、これまた初めてお会いする草野女史に念を押されてしまった。
草野女史は意外と若そうだし美人で(よぼよぼのおばちゃんだと思ってた)、男子校なのにいいのかなーなんて本人に聞かれたら余計なお世話だと言われそうなことを思ってしまう。

まあ、今はそれはいいとして。

「松葉杖はないの?」

保健室の中を見渡してても、それらしきものが見当たらないし、渡される雰囲気もない。
俺の方は準備万端なんですけどね!

「松葉杖?あはは、大袈裟ね」
「え?じゃあ車椅子?」
「お前、頭の方が重傷・・・?」
「俺は足が痛いんだけど」
「・・・えっと、本気?」

本気も何も。
生まれてこのかた、一度も足をひねるとかの怪我をしたことがなかったから自分の怪我がどんな具合なんだかよくわからない。
なんかとにかく内側が痛いって感じだ。じわじわきて、ほっとくと喉の奥がむずがゆくなってくるような。
だからそんな不思議そうな顔をされても、ねえ。

「もしかして松葉杖も車椅子も必要無い系?」

漫画だと怪我した人ってみんな松葉杖をついてたっていう印象があったのに。あれってやらせだったの?

「そのへんの木の枝でも杖にするといいわ」
「わあ・・・」

草野女史ってばクール・・・。
でも俺の方だって、そう簡単には諦めきれない。俺の松葉杖への執念もただならぬもんだぞ。
とりあえず、俺に合った手ごろなサイズの枝をどこで探そうかと思案していると、草野女史から包帯とテープとシップセットを手渡された。
松葉杖と比べたら落ちるけど、まあ悪くはないか。

「それは替え用ね。もし痛みがひかないようだったら明日来なさい」
「はーい」

俺は元気よく返事をして、残り30分ちかく残っていた授業に戻った。(スケッチブックやら包帯やらは河合が全部持ってくれた。いいやつ!)



それにしても。
怪我したってことがあまりにおもしろくて忘れてたけど、これって突き落とされたってことの方が重視されるべきなんだろう。

突き落とされた理由にこころあたりは無いのに、突き落とした人にはこころあたりがありすぎる。これってどうよ。考えれば考えるほど、悲しいというか腹が立つというか。
でも、捕まえるどころか怪我した自分のふがいなさが、一番情けない。今度こそストーカーやら部屋を荒らした犯人に何か直接繋がる証拠が掴めたのかもしれないのに。情けねー・・・。



* * *



熱心に部活動に取り組んでいる運動部の姿を片目に、俺も野球部にも陸上部にも負けないぐらい熱心にお手ごろサイズの枝を探していた。
それを始めたのが放課後始まってすぐだったから、たぶん16時ごろだったはずだ。
ふと視界が悪くなってきた気がして顔を上げると、いつの間にか太陽が山の方に、つまり日が暮れ始めていた、らしい。うーん、恐るべし俺の集中力・・・。

とりあえず時間も時間だし、といわけで適当に足下に落ちていた長い棒を1本拾って、俺は珍しく生徒会室に寄らず寮に帰ってそのまま会長の部屋へ向かった。

しかし足が痛いっていうのは中々不便だ。歩きづらしいし、走れないし、側転もできないし。
あんまり怪我なんてするもんじゃないなあ、としみじみ思った。



「・・・なんだ、その棒は」

部屋に入った途端、さきに帰って来ていた会長が眉をひそめながらそう聞いて来た。なんか捨て猫を拾ってきた少年の気分だ。

「洗ってきたのでそんなに汚くないと思いますよ」
「・・・・・・」
「えっと、松葉杖がわりです」

そんなことを聞いているんじゃないとばかりに眉をつりあげられたので、俺は丁重に言い直した。
いや、まあ見た目は腰の曲がったご老人が使うようなただの棒ですけどね?
それにどうやら見た目通りあんまり意味ないみたいですけどね?

「形だけでも楽しんでみようかと思いまして」

俺は会長様に見えるように包帯を巻かれた右足をぶらぶらさせてみせた。

「あ、安心してください。怪我しても会長のことは守りますから!」
「結構だ」

古典的にガッツポーズをしてみるけど(そういやガッツポーズってガッツ石松が最初にやったらしい。さすが偉大なお方だ)、会長様は軽くスルー。
うーん、頑なだなあ。
誰か是非とも会長と仲良くなるコツを教えてくれ。

「夕飯はどうします?」
「食べた」
「・・・そーですか」

なんというか、油が水をはじくように俺と会長様が分かり合えるようになる日なんて一生来ない気がする。
からかうのが楽しいからいいけどさ、なんか今日は絡む元気がないぐらい疲れてんなあ・・・。歳か?歳だな。

俺は別に痛くも無い腰をぽんぽんと叩いて、冷蔵庫の中の食材を消費させるべく、夕飯の仕度に取り掛かった。



* * *



てきとうに夕飯をつくって、食べて、風呂を洗って、入って、洗面所に布団ひいて、さあ寝よう、ってときにふと思い出した。



「会長ー・・・」

洗面所のドアから顔半分だけ覗かせて、ソファに腰掛けていた会長を呼んだ。

「・・・・・・」

会長は返事をしないもの、一瞥だけしてきて続きを促して来た、ように俺には見えた。
背中で物を語るってこういうことをいうのかもしれない。渋いねー。ちょいわる?いや、会長はちょいどころじゃないな・・・めちゃわる?や、めちゃって。

「あの、包帯がうまく巻けないんで、手伝ってくれませんか?」

今、俺の右足にはだらしなく包帯がぶらさがっている。
これからはミイラを心底敬おうと思えるほど、包帯を巻く作業は意外にも困難を極めた。うん、かっこよく言い過ぎだな。

「・・・貸せ」

・・・・・・。

意外な返事に、反応ができなかった。

「・・・早くしろ」
「あっ、ただいま!」

俺は軽くトリップしていたらしい。

自分から頼んどいてあれだけど、なんの文句もなく会長が承諾するなんて予想外だ!どういう風の吹き回しだろうか。
拍子抜けというか、期待はずれ・・・は違うか。とにかくびっくりだ。

俺は慌てて手に持っていた包帯とシップを会長に渡した。



それからもくもくと俺の足に包帯を巻き始める会長。うーん、このシチュエーションはおいしいなあ。私の足をお舐め!みたいな。口が裂けても言えないけど。それ以前に口が裂ける状況に陥らないだろうけど。

「会長、」
「・・・・・・」
「前言った生徒会と一般生徒の仲を深めようって企画を俺なりに考えたんですが」
「・・・・・・」
「生徒会をHEY!みんな元気会に改名したらいかがでしょう」
「・・・・・・」
「あ、この沈黙は検討中と思ってもいい、」
「検討する余地もないな」
「ということは・・・!」
「却下だ」
「そっちか!」

そっちですか!
かたっくるしい生徒会って名前より親しみやすくていいと思ったのに。

また沈黙が流れて、会長の意外な手さばきに見とれていたら、いつの間にか右足に包帯がきれいに巻かれていた。おお。

「会長って器用ですねー」

ありがとうございましたと律儀にお辞儀をして洗面所に戻ろうとしたときだった。

「なんで怪我したんだ?」

たぶん初対面のとき以来に、会長の方から話し掛けて来た。
まさか心配・・・!って考えるだけ無駄か。

「階段から落ちて」
「・・・そうか」

突き落とされたこととかは詳しく説明しなかった。なんとなく。決して面倒だったわけじゃないぞ。



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